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宮崎地方裁判所都城支部 昭和58年(わ)99号 判決

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中九〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五八年三月頃から宮崎県都城市上町五街区九号和風スナック「つくし」(経営者荒井ミサ子、昭和一九年二月一〇日生)に足繁く通ううち、右荒井ミサ子と一緒に食事や飲酒に出かけたりなどするほどに同女と親しくなり、遂には同女を一方的に恋慕するようになつたのであるが、同年八月末頃から同女が被告人の食事の誘いを断るなどのことがあつて、被告人において、同女の態度が急変し冷たくなつたものと邪推し、一度は同女を諦めようとしたが、諦めきれずに思い悩むうち、同女に会つてその気持を確かめ、同女が自己に好意をもつておらず、自己を騙していたことが判つた場合には、同女を殺害して自己も自殺しようと決意するに至り、絞殺用にファスナー一本(幅約1.5センチメートル、長さ約93.5センチメートル。昭和五八年押第二五号の二、三)を準備携帯し、同年九月六日午前一時頃右店舗を訪れ、同女と二人で飲酒、雑談中、同女から「あんたのことは信用出来ん」などといわれたうえ、同女の気持を確かめようとして、前月分の飲み代を払うといつて、中味が空の現金書留封筒をテーブルの上に置いたところ、同女がすぐさまこれを受取ろうとしたため右封筒を払いのけ床に落とすや同女がこれを拾わずに「もう帰ろう」などといつたことから、同女の気持としては自分よりも金の方が大切であり、自分には惚れていない、騙されていたと思い込み、同日午前三時五〇分頃、同女を殺害しようと企て同店内奥ボックス席に腰を掛けている同女に対し、「御免、一緒に死んでくれ」と言いながら同女の首に右ファスナーを一回巻きつけて絞めつけているうち、右ファスナーが切れたため、同店内調理場から刃渡り約一二センチメートルの包丁一本(同押号の一)を持ち出し、これを右手逆手に握つて同女の頸部前面を左から右に真横に一回切り裂いたが、多量の出血を見て驚き、正気を取り戻すや、同女をなんとかして助けなければならないと考え、同女に対する殺害行為の継続を思い止まり、直ちに同女に対し治療措置を受けさせるべく、救急車の出動を求めて緊急電話一一九番をしたがかからなかつたので、前同日午前三時五八分頃、緊急電話一一〇番をもつて都城警察署に対し、救急車の手配を依頼すると共に、同女の求めに応じ、出血個所を押えて止血するため、同女に対し、同店内にあつたお絞二本を手交し、さらに救急車の到着する頃を見計らつて同女を促して同店前まで同女に付添うなどし、同店前に急行した救急車によつて同女を付近の病院に収容させ、同女に治療措置を受けさせた結果、同女に対し入院加療七八日間、通院加療約三九日間を要する頸部切創、頭部外傷及び加療約二〇日間を要する球結膜下出血(両)の各傷害を負わせたにとどまり、殺害するに至らなかつたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人の本件犯行は刑法四三条但書の中止犯に該当する旨主張するので検討する。

ところで、被告人が本件殺害行為の継続を思い止まつたのは、被害者の切創部から多量に出血しているのを見て、驚がくしたことがきつかけとなつていることは前記認定のとおりである。しかし、右驚がくは、右行為継続に障害となるべき状態を引き起こしたものでないことは明らかであり、かえつて、深夜、密室において、無抵抗の被害者と二人きりの状況にあることを考えると、容易に殺害の目的を遂げ得たであろうことは推察するに難くないところである。しかるに、被告人が右殺害行為を継続しなかつたのは、被害者の右出血に驚がくしたことがきつかけとなつて、正気を取り戻し、被告人の被害者に対して抱いていた思いつめた気持から解放された結果、その行為を反省し、積極的に被害者を救助すべく決意したことによるものであつて、任意の意思に基づくものであると認めるのが相当である。

しかしながら、前掲各証拠によると、被告人が右のように本件殺害行為の継続を思い止まる前に被害者に加えた行為は、病院において治療措置を受けることなくそのまま放置すれば、出血多量により死亡させるに至る危険性が大きかつたことが認められる。右のような事実関係のもとにおいて、被告人に中止未遂の成立が認められるためには、単に殺害行為を中止するのみでは足りず、被告人がすでに加えた前記行為に基づく死の結果の発生を防止するため、積極的な行為に出て現実に結果の発生を防止し得たことが必要であると考える。そして、右結果発生の防止行為は、必ずしも犯人が単独でこれに当る必要がないものの、他人の助力を受けても犯人自身が防止に当つたと同視し得る程度の真摯な努力が払われた場合でなければならないと解すべきである。

本件の場合、被告人が結果発生防止のためにとつた措置は前示のとおりであり、加えて、被告人は右措置を本件犯行後極めて短時間の内に了しており、また、警察署に対する救急車の手配を依頼した際には、自らが被害者を切創したものであるとは伝えていないものの、現場に急行した警察官に対しては「私がたつた今包丁で彼女の首を切りました。彼女を殺して自分も死ぬつもりでした。一一〇番したのは私です。早く救急車を呼んで下さい。」などと述べ、傷害の原因について素直に真実を申告し、あくまでも被害者の救助を求める意思を表明していることからすると、右措置は、特に有効な治療措置を加える知識、経験をもたない被告人としては、できるだけの努力を尽したものというべきであり、また、結果発生防止のため被告人のとり得る最も適切な措置であつたということができる。

そうだとすると、被告人は、被告人自身が結果発生を防止する行為に出たと同視するに足る真摯な努力を払つたものということができ、その行為は、中止未遂の要件を充足するものと認めるのが相当である。

よつて、弁護人の主張は理由がある。(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇三条、一九九条に該当するところ、所定刑中有期懲役刑を選択し、右は中止未遂であるから同法四三条但書、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中九〇日を右刑に算入し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

被告人は、スナックの女性経営者の商売上の言動であることを考慮することなく、一方的に同女に恋慕するに至つた結果、本件犯行の少し前頃から被害者の態度が冷たくなつたとして、さしたる理由もないのに判示のような経緯及び態様で、予め準備しておいたファスナー片で被害者を絞殺しようとしたあと、これに失敗するや、右店舗内にあつた包丁で人体の最も枢要部である頸部を切りつけ、その結果、胸鎖乳突筋に達する傷害を負わせたものであるところ、本件犯行に至る動機は、被告人の誠に身勝手で自己中心的な思考に基づくものであつて同情の余地はなく、またその犯行は、計画的で悪質なものであるといわざるを得ず、その態様は、わずかに急所を外れたために最悪の結果こそ免れたものの、極めて危険な行為というべく、発生した結果も長期の入院を要するものであるのみならず、同女の頸部に醜状痕を残すなど極めて重大なものであり、被告人の刑責はまことに重いという外はない。

さらに、被害者は、長期間の入、通院をし、約二か月半休業することを余儀なくされたうえ、接客業を営む者としては不利益となる前記醜状痕が残り、多大な精神的かつ肉体的苦痛と多額の経済的な損失を蒙つており、被害感情も全く宥和されておらず、これに対する被害弁償の目途も立つていないし、慰藉の途も何ら講じられていない。

もつとも、前示のごとく被告人は本件犯行を任意の意思をもつて止め、一一〇番通報して救急車の手配を依頼するなど本件犯行が中止未遂に終つたこと、また駆けつけた警察官に対し、自己の犯行であることを素直に認めたこと、被告人はここ一〇数年間まじめに稼働してきたこと、現在においては自らの行為を深く反省し、将来、被害者に対する損害賠償をなす決意を述べていることなど、被告人に有利な事情も認められるので、これらを総合勘案して主文のとおり量刑した次第である。

よつて、主文のとおり判決する。

(松山恒昭 大串修 鳥羽耕一)

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